2002年度 TRUMPF企画

世界最速レーザーマシンと世界遺産視察の旅

ドイツ・イタリア:2002年4月28()〜5月5日()

 

 

 

水の都ヴェネツィア「サン.マルコ広場」

 

 

 

渡辺工業株式会社     

工場長 SK

4月28日(日)

 

朝5時前、浅い眠りから目が覚めた。昨晩から少々興奮気味だったからだ。

さあ今日から待ちに待ったトルンプさん企画のドイツ、イタリアの視察旅行だ。

AM6:15名古屋空港に到着、受付をすまし待つこと50分、成田行きの飛行機はなんと、50人乗りのプロペラ機、不安がよぎった。

案の定、着陸の際ジェトコースターのごとく大揺れで体中冷や汗状態に・・・

実を言うと飛行機は16年ぶりで、海外は初めての体験になる。

成田空港は想像以上に広くゴールデンウイークということもあってスーツケースを持った様々な人種でごったがえしていた。

パンフレットを片手に集合カウンターを探し、やっとの思いでトルンプ企画担当のSTさんに会えた。(知的で可愛らしい女性)

STさんの案内で待合室へと向かった。待合室に入ると今回お世話になったトルンプ機械販売部課長のKTさんと営業技術部のOKさん、そして見送りに機械販売部部長のKRさんがおみえになり、ご丁寧な挨拶を頂戴した。

同じツアー参加と思われる方が一人おみえになり、早速名刺交換をすることに。

後に名前がよく出てくる、TG社のTG課長だった。

私はどうやら2番目らしい。集合時間の9時30分が近づくにつれて続々と参加者の皆さんが集まってきた。

KRさんの挨拶が始まり、続いて自己紹介へと進む中、今日お会いするのを大変楽しみにしていたFJ社の社長ご夫妻がまだのよう?

KTさんが注意事項等の説明をして最後に「今回参加のFJ社のFJ社長ご夫妻は単独で昨日ドイツへ出発されました。」と説明があり、少し拍子抜け状態。

まあドイツに着けば会えるか?

 

ツアー参加者を紹介しておこう。

   II社  OT社長

ET社  TT社長

   KT社  KTさん

TG社  TG課長

   TM社  TM社長

HI社  HI専務ご夫妻

FJ社  FJ社長ご夫妻

MT社  HR社長ご夫妻と、娘さん

LZ社  IG社長ご夫妻

   渡辺工業(株)  SK

                        以上15名

 

トルンプ(株) 同行社員

    機械販売部課長  KTさん

    営業技術部    OKさん

(株)エンターテイメントエクスプレス

    添乗員  HRさん(?歳)

 

出発便 全日空209便 フランクフルト行き、AM11時35分、成田発に搭乗し出国した。

 

座席は最後尾でTGさんと同席になった。フランクフルトまで12時間のロングフライトになる。さて一眠りでもしますか・・・

 

PM4時30分、予定通りフランクフルトに到着した。

時差は約7時間で、日本はPM1130分頃になる。

入国審査を終え、まずは喫煙所を探すとTGさんがおいしそうにタバコを吸っていた。どうやら喫煙者は私とTGさんの2人だけのようだ。

専用バスにて目的地のシュツットガルトへ向かった。あの有名なアウトバーンをひたすら走りPM8時頃ホテル着いた。ドイツは今の季節8時〜9時頃まで明るいそうだ。

ホテルは市の中心部、鉄道の中央駅向かい側に建つデラックスホテル、“GRAF ZEPPELIN”(グラフ ツェペリン)

部屋に案内される前に「軽い夜食を取ります」と言われ、ホテル内のレストランへ・・・何が軽い夜食だ! ドイツビールで乾杯から始まり二時間近く飲んで食べて、お腹は満腹。私は早く寝たい!

ちなみに私はノンガスミネラルウオーターで乾杯。ヨーロッパではミネラルウオーターは炭酸入りが一般的らしく、炭酸入りが嫌な人はノンガスと注文するように添乗員のHRさんに教わった。日本でも炭酸入りが女性の間で少しブームになっているらしい。

 

 

 

 

 

4月29日(月)

 

時差ぼけか? 朝4時頃目が覚めた。朝食前に社長に聞いていた近くの公園へと散歩に出かけた。少し肌寒いが気持ち良い。

ホテルから公園に向かう間、ポイ捨てのタバコの吸い殻が多いのには驚いた。

今日は月曜日、出勤する人がちらほらと見えだし、その中に見覚えのある東洋人が一人、ベンチに座っている。TGさんだった。やはり眠れなかったみたいで、一人で散歩をしていた。「気持ちの良い朝ですね」なんて、言いながらホテルへと帰った。

今日の予定はトルンプ本社工場見学とトルンプユーザ見学である。

朝食後、専用バスに乗り出発を待った。出発予定時刻を5分程過ぎてやっと、FJ夫妻の登場!「お待たせしました・・・」と言うと、・・・・・・・・・前列に座った。どことなく余裕を感じた。

想像していたより大柄な方でプロレスラーのような体格、声は体に合わず少しかん高く、かわいらしい。こんなこと言ったらFJさん怒るかな?

トルンプ本社があるシュツットガルトは人口約70万人の工業都市でメルセデスベンツ、ポルシェなどの工場がある。今回は見学コースに入っていないので少し残念。

AM10:00、トルンプ本社に到着。第一印象は、我が社の様な青と白の建物を想像していたが、なんとエンジと白のツートン。ちょっと意外!

会議室らしき所へ案内され、席に付くと隣にFJさんが座った。すかさず挨拶し名刺交換をした。4月26日に開催したトルンプナイト(トルンプ大好きユーザの集い)で、「うちの社長とは・・・」と聞くと、「用事があり短時間で退席したので挨拶程度しかできなかったが、打倒!FJ社と言われました。」と言って笑っていた。余裕なのか?

 

*ベンツィンガー取締役の手厚い出迎えを受け、

トルンプ社現在までの歩みと会社概要を聞く。

中央の方がベンツィンガーさん(なかなかハンサムでダンディーな方)

右側の方が今回通訳を担当されたKTさん(負けていません?)

 

1923年(創業)

トルンプ社創立者であるクリスチャン・トルンプと2名のパートナーとにより、シュツットガルトに接続ケーブル製造販売会社として出発。

 

1934年

シートメタル切断用モータドライブハンドシャーを発表。

 

1948年

  “TRUMPFニブラーTAS” 定置ニブラーの製造開始。

 

1953年

従業員数が145名を超えニブリングマシンが、国際見本市を通し全世界へ発信されるとともに、海外顧客を獲得。

 

1955年

  第2の拠点工場をヘッティンゲンに設立。

 

1957年

当時、若手エンジニアであったライビンガーによって開発された座標ガイダンスが特許を取得。これにより、オペレータによる手動ガイダンスの問題点を解決。

更に、数値制御プログラム開発への第一歩となる。

 

1961年

  従業員数325名となり、ライビンガーが技術関連の取締役となる。

 

1968年

  数値制御システム搭載シートメタル加工マシン“TRUMATIC 20”を発表。

高速完全自動加工が可能となる。

 

1969年

  現在の第2拠点工場であるファーミントン工場をアメリカに設立。

 

1972年

  本社、ディッツィンゲンに移転。

 

1975年

  従業員数764名、売上高73百万DM(ドイツマルク)達成。

 

1978年

ライビンガーが代表取締役兼経営パートナーとなる。極東地区拠点として、日本に事務所を設立。

 

1979年

パンチ・レーザー複合マシン“TRUMATIC 180”を製造。

当時のレーザー出力は500〜750W。

 

1984年

  従業員数1,469名、売上高289百万DM達成。

 

1985年

CO2レーザー製造決定とともに、TLF1000の製造開始。これによりビーム性能1kW、及び高周波コンパクト発振器が実現。

 

1987年

フライングオプティクス理念を採用した、フラットベットレーザカッティングマシン“TRUMATIC L3000”発表。

 

1989年

欧州工作機械見本市EMOで、“TRUMATIC 240レーザプレス”を発表。

この年の従業員数2,341名、売上高524,3百万DM達成。

 

1992年

  シュランベルグにあるハース・レーザ社を100%出資にて買収。

 

1997年

TRUMATICマシンを10,000台出荷を記録。

 

1998年

  創立75周年を迎えるとともに、ディッツィンゲン本社にレーザ工場を設立。

 

2000年

  従業員数4,803名、売上高10億ユーロを達成。

 

2001年6月決算時

  従業員数:約5,200名

  工 場: ドイツ、フランス、オーストリア、スイス、台湾、アメリカ

  売上高: 11億USドル(12億ユーロ)前年度比+21.3%

  海外拠点:23ヶ所

  取扱製品:板金工作機械(70%)

       加工用レーザ発振器(20%)

       電子医療テクノロジ部品(8%)

       電動工具(2%)

  開発費: 売上の6%、完全開発型である。

 

近年すばらしい成長を成し遂げ、今尚飛躍し続ける元気いっぱいの企業だ!

 

続いてショールームへと案内された。

今回ツアーの目玉と言える、“TC L3050”(レーザー単体機)の前へと集合。

<主な特性>

  *出力5kW TLFレーザー

  *シートサイズ 3050×1525mm

  *ドライブデーター 最大速度=約300m/min

            最大加速度=約20m/S2 (位置決め時)

            最大加速度=約15m/S2 (切断時)

  *最大板厚 軟鉄     25mm

        ステンレス鋼 20mm

        アルミ    12mm

  ドライブコンセプト

   *リニアダイレクトドライブ(Y/Z軸)

   *モータ/ギアユニット搭載ガントリ型X軸

TC L3030とほぼ同様の効率スペース基礎据付不要

 

 

 

*カッティングヘッド、ノズル等を収納するキャビネットをレーザー背部に設置

“かゆいところに手が届く”とは、まさにこの事!

 

早速、アルミt1.0と鉄t20のデモンストレーションを拝見。続いてX、Yの最高速

軸スピードを拝見した。(まるでアウトバーンをベタ踏み状態で突っ走るようだ)これは、すごいぞ!

2002年4月29日   トルンプ ドイツ本社 ショールームにて

世界最速レーザーマシン 『TRUMATIC L3050』 を視察。
「速い! とにかく速い! しかーし、まだまだーっ!
人間の欲とは恐ろしいもので、今使ってる 『L4030 発振器4KW』 に比べて、
トータルスピードで3倍速くないと、速く感じんぞ〜!
軸スピードだけでは、ごまかされんぞーっ!」
でも、今後のトルンプさんは何をしでかすか・・・
益々期待させられ、胸が高鳴ります。

当社ホームページに掲載中!

 

続いてTC5000R(パンチ単体)、TC6000L(複合機)を見学。

TC5000Rで加工したエンドレスルーバーと追い抜きの痕がない切断面のサンプルがあった。金型の構造は解らないが、当社使用のTC600Lには装着不可と聞いた。

(マイナーチェンジでより良い物をと造っていった結果だそうです)

(これは鉄t8.0をロケータポイント加工したもので、滑り止め床材に使用。)

 

 予定の時間がかなり過ぎてしまい、工場見学へと行く頃には昼の休憩で、実際の作業しているところは見学できなかった。工場内はしっかり整備され、無駄のない状態に見えた。

TC6000Lの組立ラインを一通り見学し最後にそれらしい形になった物が4台、組み立て途中で並んであった。その横に完成品が1台あり、それを移動するところを見せてくれた。高さ300〜400mm位の長方形の作業台のような物にTC6000Lが載せてある(組み付け途中のも同様に)。それにエアーを注入し重さ16000kgもある物をリモコンで軽々と動かしてみせた。「これは何」と言う質問に、「ホーバークラフトのような物」と答えが返ってきたが、実のところよく分からなかった。移動時間だけでも、かなり短縮できていると誇らしげだった。15台/月産

 工場見学は少し物足りない感じだが、工場を後にして社内レストランへと案内された。そこは一流レストランを思わせる内装と雰囲気で、お酒も各種揃っていた。(これもドイツ流なのか?)ドイツ料理を堪能し?(私の口には少し合わない) 再び会議室へと戻った。ベンティンガーさんからお別れの挨拶を頂戴し、再会を約束してトルンプ本社を後にした。

 

PM3:00、バスに乗って15分程で次の視察地、ポリラック社に到着。

会社概要

 1982年設立

 従業員数:約120

 売上高:約24億円

 業種:電子部品等の設計および製造販売

  主な製品

   *デスクトップケース

   *電子部品ケース

   *各種ラック材

   *プラグ.インモジュール/フロントパネル

   *システムコンポーネンツ

   *送風機トレイ

     ロット数 1〜500

トルンプ導入マシン

  TC L2530×2台、TC600LFMCTC500RFMC×2台、

  TrumaBend V50V80XV80SX

 

工場内へと案内され初めに驚いたのが、高さが4階建て位はあるストッカーが床から天井まで、巾も工場全面にそびえたっている。まるで建物をストッカーで二つに仕切っているように見える。工場は1階と2階に分かれていて、1階はパンチ、レーザー機、シャーリング等、切断加工が主で、2階はプレスブレーキ、溶接ロボット、組立等になっている。材料、資材、製品等が全てコンピューター化で巨大なストッカーにて管理され、精密板金加工、溶接、組立の品質向上と共に製造工程の大幅な合理化、効率化、高速化を実現している。やはり残業は一切無く、2、3シフトによる計画生産で工場運営している。

ここまでは「すばらしい」の一言だが、どうしても作業者の方へ目がいってしまう。各々がラジオを聞き、飲み物は自由で、日本では考えられないほどのんびり作業している。

お国の違いと言ってしまえばそれまでかも・・・

TrumaBendで女性の方が曲げ加工していたので拝見すると、角度センサー付で加工スピードは少し劣るが曲げ角度はバッチリ、これはいいかも。ちなみにこの角度センサーはトルンプさんとポリラックさんとの共同開発だそうだ。

工場見学を終え、役員の方と工場長を交え意見交換の場を作ってもらった。いろいろな質問が出る中、やはり「中国対策」の質問に集中したが、「われわれ欧州は旧共産圏の国々が陸続きで存在し、日本の中国問題と同様な事は数年も前から克服してきている」と中国問題は「アジアの問題にすぎない」と言っているように私には聞こえた。

 

雨が少し降り出し周りは薄暗くなっていた。ホテルにいったん戻る予定だったが、変更してレストランへと向かった。私を含め、皆さん疲れ気味で口数が少なかったが、お酒が入るにつれて段々元気になり盛り上がってきた。簡単な自己紹介しかしていなかったので「どの様な仕事されているのか、どの位の規模なのか」などの質問が飛び交っていた。

FJさんとIGご夫妻は以前にもトルンプツアーで一緒だったらしく同じテーブルで盛り上がっていた。IGご夫妻はFJ社へも見学に行かれたと聞いたので、帰りのバスの中でIGさんに感想を聞いてみた。「言葉ではうまく言えないが、社員さんがみんな明るく元気でいきいきと仕事をしている。雰囲気がいいんですよ。工場長がまたすばらし人なんですよ・・・」とベタ褒め。FJさんと話す機会を早くつくらねばと気が焦るがFJさんはなかなかの愛妻家でいつも二人べったり。話しかけるタイミングにも気を遣うほどだ。

 

 

 

 

 

4月30日(火)

 

 シュツットガルト空港からAM1050発アリタリア航空451便にてイタリアはミラノへと出発した。アルプス山脈の絶景に見入ってしまい、あっという間の到着だった。

専用バスにてスイスとの国境近くにあるコモ湖へと向かった。

コモ湖は湖水地方でも最も美しい湖と言われ、北イタリア屈指の別荘地でもある。そして絹製品の産地としても知られ、到着後早速スカーフとネクタイの製造販売の問屋へと案内されたが、とても良い品でしかも安い。だだ支払いが現金のみだったので私はネクタイを3本購入する事にした。ツアー参加者の中にはこの問屋での買い物を事前に知っていたのか、お土産にと7080品購入した方もいた。(いくら現金を持ち歩いているんだ、あぶないぞ!)・・・ここでいったん解散、初めての自由行動となった。TGさん、KTさん、私の3人でイタリアンジェラートをほおばりながら湖畔を散歩するとベンチは全てカップルが占領し人目も気にせず大胆な抱擁をかわしているが嫌らしさがない。と言うより絵になっていた。

 

 今日の宿泊するホテル「ヴィラ.デスモ」は17世紀に建てられた宮殿風のホテル。

予約がなかなか取れないホテルで、ツアー客が宿泊できるのは数少ないらしい。

記念にとお茶を飲みに来る人も絶えずいるが、その日パーティーや会合といった催しがあると門前払いをくらう。(企画担当STさん、がんばってくれました!)

 一階テラスでは立食パーティーが行われていて、タキシードとドレス姿の男女がボートで遊んでいる。私はその横でお茶を飲みながら眺めていたが、なんとも優雅で映画のワンシーンを見ているようだった。そして湖に浮かぶ全長25mはあるプールが目を引く。

夏はプールでパーティーも催される。

とにかく別世界、ここに1ヶ月位滞在できたらと心底思うほどすばらしい所だ。     夕食はネクタイとジャケット、いわゆる正装で堅苦しいが料理はおいしく頂いた。お酒の飲める方々はワインの旨さを絶賛していたが私は弱いので残念と言うか、お酒が飲めたらなと、つくづく思いながらカプチーノを口にした。

 このまま寝てしまうのがもったいないほどの夜景が広がる中、深夜まで皆さんと語り合った。

 

 

 

 

 

5月1日(水)

 

早朝ホテルの裏山へと散歩に出かけた。あいにく曇り空に少し霧もかかっていたので残念だったが、老体にムチを打って山を登った甲斐があり満足のいく写真が撮れた。

ホテルに戻り朝食の時に面白い話があった。レストランへ行くと、HRさんが私を呼び、「この目玉焼き美味しいよ」と教えてくれた。スクランブルエッグばかり食べていた私も目玉焼きを食べようと探してみると、コックさんが注文に応じてその場で料理をしている。HRさんが私の所へ来て自慢げに「どうやって注文したと思う?」と言うが、私はイタリア語で目玉焼きのことを何て言うのか解らない!するとHRさんが人差し指で自分の目を指し「ツープリーズ」と言うとコックさんが微笑んで卵を2個手に取り作り出した。「通じるものだ!」と二人で大笑い。すると奥さんと娘さんに「子供みたいにはしゃいでないで二人とも座って食べなさい」と言われ、しぶしぶ席へ......私も同席させてもらい楽しい朝食となった。

 AM1000ホテルを出発。今日の目的地、国際的ファッションの街ミラノへと向かった。今日はメーデーと言う事でお店のほとんどが休み、街は閑散としていた。石畳の道路中央に路面電車が走り、その横をボコボコと独特なタイヤ音を鳴らして車が走り去って行く。テレビで見た風景がそこにはあったが、やたら落書きが目に付く。これも実際に来てみないと解らない部分である。イタリア経済の中心地として近代的な建物も多いが、やはり古き良き物を大切にしているのだろう、時代を感じさせる古い建物がこの街にはよく似合う。 街の中心から少し離れた所でバスを降り、本場イタリアンレストランへ案内された。このツアーは3食ともきっちり用意されていて、昼と夜は食べきれないほどの量が出てくる。正直言ってこのとき既に和食が恋しくなっていた。(お茶漬けが食べたい!)今思うと贅沢な悩みだった。レストランに入るとFJ夫妻の前が空いていたので、すかさず同席した。

*会話の内容を一部紹介してみよう。

S:ご夫婦すごく仲が良くていつもべったりなので、話し掛けていいのか迷ってましてね、  家でもそんな感じなんですか?

F:海外へは年2〜3度出張するんですが、レディーファーストが知らぬまに身に付いた  んでしょう。家内には仕事を手伝ってもらってますし、仕事の話が好きなのでいつも説明したり相談したりしているんですよ。

S:(少し外国かぶれなのかも)ホームページ拝見しました。打倒FJ社、追いつけ追い越せで取り組んでいます。しかしながら太陽系の組織図、各グループがグループ長を軸に競い合い、それを工場長がうまくまとめる。言葉では解るが中身までは解らないし、IGさんに聞いても具体的には説明しづらいと言う。「ただ社内の雰囲気は明るく、社員さんが皆元気がある」と聞きましたが。

F:そんなにFJ社に興味をもっていただけるのなら一度九州へ来てくださいよ。言葉で説明するよりその方がいい、ただ私は会社にいることが少ないので不在の時は私共の工場長に案内させますので。

S:有り難うございます。何故、不在が多いのですか?

F:私にとって会社は居心地がいいんです。居心地のいい所にいたんでは進歩はありませ  ん、だから常に外に出ます。そう思いませんか?

S:私はトップではないので解りませんが、言われることは理解できます。

F:SKさん、とにかく健康が一番ですよ!!

S:(突然何を言い出すやら)FJさんは身体に気を遣うほうなんですか?

F:当然です!健康だから良い仕事ができるし、社員や家族を守れる、やはり健康が一番  です。ストレスをためてはだめですよ。

S:私もそう思います。(FJさん、少しダイエットした方がよいのでは)

F:食が進まないようですが?

S:お腹が減らないうえに毎食重たい物ばかりなので・・・

F:私も初めての海外旅行の時は食事が合わなくて苦労しましたが、日本に外人を招きこ  れが日本の代表料理ですと、天ぷら、お寿司、すき焼き、などと続けたら日本人でも飽きてしまうが、その土地、その土地の代表的な郷土料理なら美味しくいただける。そう思うようにして、海外でもその土地で一番の料理なんだと思うようにしてきたら、何でも食べられるようになりましたよ・・・(前向きな考え方をしている)

・・・あと省略

参加者の中に3人年輩の方がおられ(いずれも社長さん)3人とも海外慣れしていて、よく食べるし、よく飲んで元気がいい。やはり健康が一番!

 

 今日、市内観光のメインである「ドゥオモ」へと向かった。

ミラノ中心部にそびえるドゥオモは、500年の歳月をかけて完成したイタリア最大のゴシック建築の大聖堂(幅158m、奥行き93m、高さ109m)。

1386年にミラノの領主、ヴィスコンティの「我が街にもローマのサン.ピエトロ寺院のような建物を」という命によって建造が始められ1887年に完成した。こんな建造物をどのように表現したらいいのか解らない。

ただ「すごい」の一言! 「ミラノを初めて訪れた時ミラノを去る時、どちらも必ず胸に残るのがこのドゥオモの姿である」と言われている。

 ドゥオモ広場のすぐ北にある十字形のガラスのアーケードをぬけるとスカラ広場があり、レオナルド.ダ.ヴィンチ像がそびえ立ち、その正面には世界屈指のオペラの殿堂、スカラ座がある。今日宿泊予定のホテルは200m程離れた所に見えていたがバスにて移動、スフォルツェスコ城へと向かった。5分程で到着、バスを降り城内に入るまでの間、露店が所狭しと埋め尽くし、その大半が中国人であった。何故か日本語プリントのTシャツを売る店が多いのには驚いた。建物内には入らず外観のみの見学となり早々ホテルへと向かった。ホテルはあのモンテナポレオーネ通り(ブランドショップが集まる一角)の目の前に位置し、買い物目当ての女性には最高のホテルと言えよう。あいにく今日はメーデーなので通りも静かだった。

 

 

 

 

 

5月2日(木)

 

 日課となった早朝の散歩の途中にタバコ屋があったので挑戦してみた。イタリアのタバコでライトな物を注文してみたが、難なく買えた。(店を出て、ほっと一息)

 朝食後、ダ.ビンチ作「最後の晩餐」を鑑賞に出発。サンタ.マリア.デッレ.グラツィエ教会(ミラノでルネッサンス期最大の建物)隣の修道院の食堂壁に描かれている。

14951498にかけて完成された壁画は、石膏の水分が画材の油に反応しカビが発生。50年後にはほぼ半分が破損、150年後にはシミにしか見えない状態にまでなっていたという。幾度となく修復作業をかさね、1970年代に現代技術を駆使し20年以上にわたる長い修復を終え蘇った。1999年5月から一般公開が始まった。

 外気と湿気をシャットアウトするため、自動ドアが開き25名程が狭い部屋に入れられそこで数分待機させられる。それを3〜4回繰り返してやっとたどり着いた。中は薄暗くひんやりしている。ヘッドホンからは日本語で説明が始まり、壁画を前に皆見入ってしまった。壁全体に描かれた「最後の晩餐」は、想像していたより大きく、静かな感動が胸に満ちてくる。

 動的遠近法とやらで立体的に描かれていて、少し離れて見るとまた違った感じがする。

10分程の短い鑑賞を終え、2時間程自由行動となった。TGさんと私はドゥオモすぐ横のデパートへ土産を買いに行き店内で別れた。各階を一通り見て回り、最上階のカフェで一休みしてから1階に戻り2〜3点買い物を済ました。約束した場所でTGさんと会いホテルまで戻った。

 休む間もなく着替えて、FIATミラフィオーリ工場(トリノ)見学へと向かった。バスで2時間位の移動となる。移動途中にドライブインにて昼食となり、一口食べたサンドウイッチの中のチーズで気持ち悪くなり、この後最悪の状態になってしまった。

 雨も降り出し、バスの中で「早く着いてくれ」と祈る気分だった。(吐いちゃうぞ!)

 

 バスは表玄関に横付けし、美しい女性社員が出迎えてくれた。案内されたロビーには新車のアルファが3台展示してある。その女性社員による会社概要と注意事項の説明を聞いたが、工場内の写真撮影はもちろん記念撮影も一切禁止で、集合写真を取るなら門の外でとクギをさされた。トイレに行くのも団体行動で社員が同行しなくてはダメ!かなり厳重だ。工場見学専用車に乗り見学へと進んだ。小型車フントの生産ラインでボディーの溶接やスポット溶接は半分が自動化で半分は手作業のように見える。工場自体も古く、日本の自動車産業とは随分違うように思える。続いてアセンブリ工場へと移動、これまた言うまでもない、彼らにとっては普通なのかもしれないが私達日本人にとってはラフすぎる。誰かが「奴ら、ビスのひとつぐらい忘れても平気だぞ」と言っていた。それは無いとは思いたいが、フィアット車はちょっと遠慮したい気分になった。

気分がまだ回復しないままミラノへとバスを走らせた。今日のディナーはキャンセルしようと思い、添乗員のHRさんに伝えに行くと「今日のディナーは日本食だから、もう少し我慢して下さい」と耳打ちされ、俄然元気になってきた。

 ミラノに着くとFJ、IGご夫妻がバスから降りた。なにやら共通の知人が訪ねてきているので夕食は別行動との事。HRさんから日本食の発表があり、やはりみなさんうれしそうだった。日本料理「大阪」へと案内され、刺身、天ぷら、焼き魚など、和食文化のすばらしさを再認識できた。

 

 

 

 

 

5月3日(金)

 

今日はバスで3時間弱の距離にあるモントバに移動し、工場見学をした後ヴェネツィアに行く予定だが、ミラノでの買い物が思うようにできなかったと言う意見が出た為、2班に分かれる事になった。私は当然工場見学組に同行した。

 途中、プロサッカー選手中田が所属するパルマの町を横切りモントバ近郊のレストランに到着した。周りを見渡しても何もない殺風景な田舎町だった。

 店内に入りしばらくすると、スーツ姿の人とジーパンにシャツといったラフな服装の中年の二人が現れ、KTさんOKさんと親しげに話している。KTさんから紹介があり、ジーパンの方が今から工場見学をする「サルツィ.ラミエーレ社」の社長で、スーツの方はトルンプイタリアの社員だった。この社長、金のネックレスに金の腕時計と光り物が好きそうだ。どの様な会社か楽しみになってきた。

 工場はレストランからすぐの所にあり、入口付近にあったトルンプTUBEMATICによるパイプ切断加工を拝見した。工場は広く大型機械がいくつもあるがどれも小さく見えるぐらいのうらやましい環境だ。トルンプ導入マシンは他にTC L4030×2台、

TC L4030ETC260LTrumaBend V170等で、他に6m、4m、3m、のプレスブレーキがある。

 設立は1975年、従業員は家族も含め約30名で売上高=約5億(2001年度決算)イタリアでの中の上クラスのジョブショップと聞いた。

 工場内は材料と製品が気持ちのいいほど整理されている。今日は日本人が見学に来るのでこの時間帯を休みにしたみたいで、作業者が3人しかいない。繁忙期は3シフト制にて対応し、残業は一切しない。トルマベンドで若い男子が曲げ加工をしているが私達を前に少々緊張気味ではあるものの、目つきは真剣で動きも早い。時折私達の方を見てニコリとしてみせる顔がいい。イタリアに来て初めて真剣に取り組む姿を見た気がして、何故かうれしくなった。

 見学を終え案内された部屋には手作りケーキやワインが用意され、家族総出のおもてなしを受けた。そればかりでなくお土産にと「歓迎」と漢字でレーザーマーキングしたプレートとクッキーまで頂き、サルツィ.ラミエーレ社を後にした。(社長さん容姿で人を判断してはいけませんね!)

 雨が降る中、バスはヴェネツィアへと向かった。周りは薄暗くなり、帰宅途中のラッシュに巻き込まれて予定時間を随分オーバーしていた。

 やっと着いたと思いきや、今度は水上タクシーに乗り約40分、さすがに旅の疲れか、皆さん黙って雨で何も見えない外を眺めている。ホテルに着いたのがPM8:30頃、雨に濡れた衣服を着替えロビーに行くと、別班の人達が「ご苦労様でした」と出迎えてくれた。遅い時間のディナーとはなったが、この旅行の最後のディナーでもあり、この旅を振り返ると話は尽きなかった。

 

 

 

 

 

5月4日(土)

 

 あいにく雨なので散歩を断念し、早い朝食を取り荷物をまとめた。今日でイタリアともお別れ、夢のような時間はあっと言う間に過ぎていく。

 アドリア海に浮かぶ水上都市ヴェネツィアは9〜19世紀、総督を中心とする共和制のもとに独自の文化を築いた街。その海側の玄関口にあたるサン.マルコ広場に私達はいる。サン.マルコ寺院(9世紀前半、聖マルコの遺体を祭るために創建された寺院)とドゥカーレ宮(ヴェネツィア共和国の総督ドージェの居城兼政庁)を見学し、ヴェネツィアの伝統工芸であるガラス工芸の店へと向かった。雨がまだやまず、この後楽しみにしていたゴンドラに乗れるか解らないまま、PM1:00に集合するか、出発時間のPM3:30に集合するか選択させられ、解散となった。私はPM1:00に集まる方を選びゴンドラに乗れる事を期待した。

添乗員のHRさん一押しの土産物店へと迷路のように入り組んだ路地を歩き回り、たどり着いた小さな店はガラス細工のアクセサリーをお値打ちに売ってくれた。華やかな建造物とは対称に裏路地を歩くのもヴェネツィアの楽しみ方の一つといえる。

時間の経つのは早く集合時間になったが、さっきまで一緒だったFJ夫妻がいないのに気づいた。HRさんに聞くと「土産物店をもう少し見て回りたい」とのことで、別行動になったらしい。本当に買い物が好きな夫妻だ!

レストランで昼食をとっていると、陽が差してきた。なんと運がいいんだ!

HRさんが予約をしてきてくれた。アコーディオンの生演奏とカンツォーネを歌う老人を伴って、2艘で優雅な周遊を楽しむことができた。

ゴンドラを降りるころ又大雨がふりだしたが、集合時間のPM3:30に一人の遅れもなく集合、船にてマルコ.ポーロ国際空港へと向かった。

PM6:15発ルフトハンザ航空3865便にてフランクフルトへ。

着後、乗り継ぎPM8:30発、全日空210便にて成田へと向かった。


5月5日(日)

 

機中この7日間の出来事を思い出し、生涯忘れる事のない思い出と、貴重な体験が出来た事の喜びをかみしめ、日本に帰ることができました。

 

 この体験を私だけにとどまらず、一人でも多くの社員が同様の体験ができたらと強く思うし、このレポートを読んで「次は自分が参加するんだ!」と意欲につながれば、こんな嬉しい事はない。それには今自分は何をすべきかを各々が真剣に考え、取り組んで行こう。結果はついてきます。

 

 

 

 

 

今回初めてトルンプさん企画の視察の旅に参加させていただき、改めてトルンプさんの企画力のすばらしさと事細かい配慮に心から感謝致します。有り難うございました。